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鯨組は成立しないと思っています。
中園…西海の場合、解体、加工は大変能率的な方法で行っていました。一八世紀の終わり頃に、土佐の藩士が、西海の捕鯨をわざわざ視察に米ているのですが、土佐では小さい鯨一頭を一日がかりで解体しているのに、西海ではもっと大きい鯨を含め、一日に四頭も解体してしまうのに驚いている。西海では、とにかく利益を上げるための合理化を追求しているのが、解体方法や施設を見ても分かる。また鯨船には、一番二番というふうに等級がついていて、働きが良い刃刺は、四番船から三番船に乗組がかわるというふうで、それに応じて給料は上がっていくシステムがありました。鯨組は実力本位です。

 

◎イルカ漁と鯨漁◎

中園…生物学的な分類では同じ種類である鯨とイルカですが、イルカ漁と鯨漁は、江戸時代にはまったく別の次元の漁業でした。鯨漁は西海においてはすでに会社と言っていいような、非常に合理的な経営を追求していたわけです。ところがイルカ漁はどちらかというと、一つの村だとか、一つの深いリアス式の入江に面したいくつかの村が協力してイルカを追い込んだあとに、入江の入口を仕切って、さらに奥のほうに追い込んで、また仕切るというのを繰り返す。そして最後には小さい網でイルカをそのまま引き上げたり、またはイルカを手でつかんで陸に上げてしまう。手でつかむとイルカはおとなしくなるらしいんですね。そうしておいて解体して、場合によっては塩漬けの肉を作ってよそに売るということで、非常に収益が上がる。それは村全体の収入になったり家々に分配されたりするんです。宮本常一さんはこうした対馬のイルカ漁を古い漁として位置づけています。村全体で漁を行って、それを平等に分配する。その一方で儀礼のようなものも残っている。それが対馬の女刃刺です。これは最後まで追い込んだイルカに対して一番銛を打つ役を、着飾った女が行うという例です。それが終って初めてイルカを陸に追い立てて、最終的な捕獲作業を行うことができます。
もう一つ例を紹介しますと、鯨の肉片をこっそり盗むカンダラと似ているかもしれませんが、対馬では解体したイルカの肉片に女の人が前掛けをかけるしぐさをすると、肉はその女の人の所有になるという考え方がありました。非常におもしろい風習ですが、いずれにせよ、イルカの肉は村全体で捕った漁獲であり、それゆえ公平に分配されるものだという意識が強くて、その中で前掛けでとるという風習もあるのではないか。捕鯨で出てくるカンダラも、組主からすれば取り締まりたい行為なのですが、なかなか厳しく取り締まれない事情もあるようで、それで捕鯨絵巻物辺りにはよく出てくる場面になっているようです。
谷川…沖縄の名護というところで有名なイルカ狩りが行われる。その時には、名護のノロ(祝女)に捕れた一頭を献上する。その意味は、ノロがイルカの漁が豊富に捕れるように海の神に祈ったお蔭だとして、感謝するわけです。そういうことを考えると、女刃刺が、一番銛を投げるのもかなり宗教的な儀礼のように思うんです。ノロが宗教的な意味でイルカ漁を指図していたことが、まずあって、それがだんだん変形していったのが、女刃刺というスタイルになったかもしれません。
それともう一つ、五島の三井楽で聞いたことがありますが、あそこはイルカが来るところですが、イルカを捕ったら、肉は干して下げておくというのです。法事などに行くと、檀家が焼いて出すというのです。ところがそれがすごく臭いがあって、死人を焼く臭いを思い出して、お坊さんは食べられないという話をしていました。
イルカは食肉です。外国人の場合は鯨の主な目的は鯨油でしょう。

 

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建切網で包囲した海豚を陸上に上げる[『江豚漁之図』『肥前国産物図考』佐賀県立図書館蔵]

 

◎鯨油の消費◎

中園…外国人の場合、やはり灯油としての利用が多かったようですね。
ただ鯨油の場合は、非常に煙が多く立ったりするので、上等の油としては使われていなかったようです。例えば、夜、航海をするときに、船に大ランタンをかけますね。ああいう油には鯨油が使われていたようです。だから平戸のオランダ商館に初期補鯨に参加した町人達が貿易商として出入りしていたのをみると、もしかしたらオランダ船のランタンに西海産の鯨油が使われていたのかもしれない。
谷川…大蔵永常が『除蝗録』の中で紹介しているように、行灯の鯨油の中に羽虫が飛びこんで溺れるのを見て思いついて田に鯨油をまけば、雲霞が入らないようになるという

 

 

 

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